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島根県松江市から発信しています。 ENGLISH 荒木八洲雄(あらきやすお)のホームページに、 ようこそ、来てごしなさった。 荒木八洲雄は、どじょうすくいと安来節に人生を賭けた男。 私の踊りもおもしろいが、私の人生はもっとおもしろいよ。 わたしのすべてをご紹介しましょう。 最後までおつきあいを、頼んますけんねぇ。 (このままズルズルと下がっていくと全部の記事が読めるようになっています。 読みたいところだけ読む場合は、目次の項目をクリックしてください) NEWS 荒木八洲雄を紹介するテレビ番組 「ごごネタ!元気者TV」がTBS系で全国放送放送されました。 ネットでも配信されているようです。ここをクリックすると見ることができます。 目次 トップページ ごあいさつ 「どじょうすくい」とは 「銭太鼓」とは おもしろ人生、あれこれ 荒木八洲雄の仕事 プロフィール・問合わせ先 ENGLISH(英語のページ) site management by Sachio Araki #
by arakiyasuo
| 2005-03-14 08:53
| トップページ
荒木八洲雄の「どじょうすくい」人生 はじめて「どじょうすくい」に惹かれたのは、16才の時。 以来、なんと60数年を、「どじょうすくい」と共に生きてきました。 「どじょうすくい」は、昔のひとが魚捕りという労働の厳しさつらさを、酒席でのコミカルな踊りでなぐさめようとする、生活の智恵。 日本の民謡にはあまりない、オーバーで開放的な仕草が一番の魅力です。 とくに、山陰という雲の低くたれ込めた土地で、こんなにもひとが明るく笑いを持って生きてきたのかと、地元で生まれ育った私は、いつも「どじょうすくい」を踊るたびに感動せずにはいられません。 私の「どじょうすくい」は型破りといつも言われます。 しかし、「どじょうすくい」踊りが労働のつらさを吹き飛ばすために生まれたのだとすれば、私は、型などなく、自由に楽しく踊ることこそ大切だと思っています。 「どじょうすくい」は、言葉が要りません。 言葉がわからなくても、観客は、どじょうを逃がしたときには一緒に残念がり、うまく捕れたときには一緒に喜び、笑ってくれます。 私が、アメリカ、ヨーロッパ、中国、トルコ、マレーシアなど、世界中で「どじょうすくい」の公演をして歩いているのも、言葉を超える力があるからです。 世界中の人たちが、私の踊りを大変楽しんでくれ、最後にステージに誘うと、喜んで上がってきて一緒にどじょうすくいを踊ってくれます。 「どじょうすくい」は私自身にもたくさんの喜びを与えてくれました。 踊りにはエネルギーが要ります。 舞台を努めるたびに全力投球をします。 汗だくになり、息も切れます。 けれど、それこそが私のなによりの健康法でもあり、お客様に大きな拍手を頂くと、身体中に喜びがみなぎってきます。 「どじょうすくい」を通じて、日本や世界中でたくさんの方と出会い、笑顔を交わすことができました。 私は、「どじょうすくい」で得た喜びをより多くのひとに伝えようと、「どじょうすくい」と一緒に演じる「銭太鼓」をアレンジした「健康体操」を編みだし、シニアの人たちに指導しています。また、「どじょうすくい」の基本であるユーモアや笑顔の大切さを伝えるため、多くの自治体や老人会・婦人会に呼ばれて講演会でおしゃべりさせてもらっています。 テレビや新聞雑誌を通じても「どじょうすくい」の楽しさ、面白さを紹介しています。 一人でも多くの方が、「どじょうすくい」ファンになってもらえたら、こんなうれしいことはありません。 荒木八洲雄 #
by arakiyasuo
| 2005-03-14 08:51
| ごあいさつ
おなじみ安来節は、島根県の代表的民謡であり、島根県だけでなく日本中の人がよく知っている民謡のひとつです。 こぶしを利かせた歌と三味線の演奏に合わせて、どじょうすくい踊りというユーモラスなダンスが付きます。 どじょうすくいおどりは、川でどじょうを捕る漁民の姿を、コミカルにパントマイム風に描いた踊り。 取り逃がしたどじょうを残念そうに見る様子や、うまくかごに納めることのできた喜びを満面の笑顔で表現するなど、庶民の労働の喜びを表現した踊りとして、300年以上も前の元禄時代から民衆に伝えられてきたものです。 特に、他の日本民謡では見られないコミカルで喜怒哀楽を素直に表現した踊りは、外国の方にも親しみやすく楽しんでいただけます。 トップページへ #
by arakiyasuo
| 2005-03-14 08:49
| どじょうすくいとは?
およそ380年前、松江藩の下級武士たちが松江城の完成を祝って大名の前で演じてみたところ大好評で、以来、土地の伝承芸能として今日まで伝えられています。 「銭太鼓」という名前も、大名が付けたと言われています。 「銭太鼓」は、銭すなわち富を呼ぶ太鼓として、めでたい席で演じられます。これを見た人はお金持ちになれる?? かもしれません。 トップページへ #
by arakiyasuo
| 2005-03-14 08:46
| 銭太鼓とは?
人生、「どじょうすくい」みたいに明るく楽しく生きよう。 ●火星に10万坪の土地を持つ男 なんと荒木八洲雄は、火星に10万坪の土地を持っているのです。 火星大接近のあった2003年、私はこの話題で各マスコミに引っ張りだこになりました。 なぜ、火星の地主になったのか? いまから45年前、タレントの徳川夢声氏の発案で、日本宇宙旅行協会が誕生。私もメンバーに入り土地の権利書を取得。 10万坪のお値段は? 当時の金で1000円でした。 何だ、ジョークか? いえいえ、会員たちは真剣です。 日本宇宙旅行協会が火星開発に成功したあかつきには、一番乗りで火星に行き、私の土地に立ってみたい! それが、45年間持ち続けている、わたしの夢です。 そうそう、アメリカの航空会社パンナムが募集した「月世界旅行」予約パスポートの日本人夫婦第一号でもあるんです。 (パンナムはその後倒産。あの予約、どうなったのかねえ) 早く宇宙旅行に行きたいね。 トップページへ ●96才の安来節おばあちゃんを訪ねて四国まで。 (NHK「新日本紀行」で放送) そして、ぜひ会いたいと思い、はるばる四国の小さな漁村を訪ねていきました。 くねくねと曲がる道をオンボロバスに揺られ、たどり着くと、たまばあやんは目に涙をいっぱい浮かべて私が会いに来たことを喜んでくれました。 たまばあやんが歌う安来節にあわせて、わたしがどじょうすくいを一生懸命踊りました。 60年のどじょうすくい人生の中でも、一番感動して踊ったどじょうすくいのひとつです。 この旅の様子は当時(昭和52年)、NHKの「新日本紀行」という番組で全国放送され、最近再放送されました。 (27年ぶりの再放送が実現したのは、私の長男の高校時代の同級生でもあった、NHK松江放送局の堀江清市アナウンサーの尽力があったから。感謝しています) あれから30年近く。たまばあやんはもういませんが、わたしが当時のたまばあやんの歳になるまでには、まだまだあります。 96才であんなにいいのどを聞かせてくれたたまばあやん。 私ももっともっと、がんばって安来節どじょうすくいを楽しまなきゃなあと思います。 トップページへ ●松江の殿様になった。 松江名物の武者行列。初代松江藩主堀尾吉晴公の入城を再現した総勢156人の武者姿。 私は、選ばれてその堀尾吉晴公を演じることになりました。 殿様だからりりしく馬に乗らなければならない。このため生まれて初めて乗馬のレッスンも受けました。 総合演出は狂言の野村万之丞さん。「行列中は話すな、笑うな」というお達し。 でも観客から声援がくれば、にっこり笑顔を返さないとね。 なかなかサービス精神たっぷりの殿様に仕上がり、これはこれで評判が良かったですぞ。 ちなみにおきさき役はわが妻。 トップページへ ●世界各地でどじうすくい公演。 「スモールフィッシュ・キャッチングダンス」 私がこう名付けたどじょうすくい。 言葉がわからなくても誰でも楽しめるので、世界中で大受け。 これまで、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、北京、上海、桂林、グアム・サイパン、マレーシア、タイ、トルコ、ドイツ、イタリア、フランスなどで公演。 北京では、日本のお年寄り数十人を引き連れ、万里の長城で健康体操とどじょうすくい、銭太鼓を披露。 中国中央電視台(中央テレビ)の取材も受けました。 トップページへ ●映画「しじみ」に夫婦で出演。 長い期間、市内でロケをしましたが、出演者もスタッフも和気藹々。 楽しい時間でした。 若いときからの念願だった映画俳優デビュー??です。 トップページへ ●人生に旅立つ高校生にどじょうすくいを教える。 トップページへ ●テレビ、雑誌、新聞に、多数登場。 私のおもしろパフォーマンスとしてのどじょうすくいが話題になり、たくさんのマスコミから取材を受けたり、テレビ出演をしてきました。 ワイドショーや24時間テレビ、ドキュメンタリーにも取り上げられました。 どじょうすくいだけでなく、火星の話題や、まぼろしの大社宮島鉄道、いまは上海市に編入されている松江(しょうこう)とわが松江(まつえ)との姉妹都市宣言の橋渡し役など、さまざまな話題をマスコミに提供してきています。 トップページへ ●立久恵「火渡り大護摩大祭」 私は、幼少の頃からお世話になったふるさとへの恩返しとして、毎年この大祭の神事の司会進行と余興のプロデュースを引き受けています。 年に一度ふるさとの方々から「やっちゃん、ことしも会えたね」と言ってもらえるのが何よりの喜びです。 トップページへ ●世界一仲良しの夫婦です。 若い頃からテレビ出演もかあちゃんと一緒 私とかあちゃんは、平成10年に結婚50周年を迎えました。金婚式ですね。 なれそめは、私の交通警察官時代。朝日町十字路に松江初の交通整理ボックスが誕生。私は当時花形職業だった交通警察官第一号として、白いスカーフをなびかせ、さっそうと交通整理をしていたのですが、朝な夕なにそこを通りかかる感じのいいお嬢さんにすっかり惚れ込み、警察官の特技を活かして尾行?? その成果あって、愛妻栄子と結婚することができたのです。 以来、どこにいくのもかあちゃんと一緒です。仕事も母ちゃんの助けなくてはできません。 海外旅行も、テレビ出演も一緒。 世界一仲のいい夫婦、とうぬぼれ、人生の宝としています。 トップページへ #
by arakiyasuo
| 2005-03-14 08:45
| おもしろ人生あれこれ
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