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人生、「どじょうすくい」みたいに明るく楽しく生きよう。 ●火星に10万坪の土地を持つ男 ![]() なんと荒木八洲雄は、火星に10万坪の土地を持っているのです。 火星大接近のあった2003年、私はこの話題で各マスコミに引っ張りだこになりました。 なぜ、火星の地主になったのか? いまから45年前、タレントの徳川夢声氏の発案で、日本宇宙旅行協会が誕生。私もメンバーに入り土地の権利書を取得。 10万坪のお値段は? 当時の金で1000円でした。 何だ、ジョークか? いえいえ、会員たちは真剣です。 日本宇宙旅行協会が火星開発に成功したあかつきには、一番乗りで火星に行き、私の土地に立ってみたい! それが、45年間持ち続けている、わたしの夢です。 そうそう、アメリカの航空会社パンナムが募集した「月世界旅行」予約パスポートの日本人夫婦第一号でもあるんです。 (パンナムはその後倒産。あの予約、どうなったのかねえ) 早く宇宙旅行に行きたいね。 トップページへ ●96才の安来節おばあちゃんを訪ねて四国まで。 (NHK「新日本紀行」で放送) ![]() そして、ぜひ会いたいと思い、はるばる四国の小さな漁村を訪ねていきました。 くねくねと曲がる道をオンボロバスに揺られ、たどり着くと、たまばあやんは目に涙をいっぱい浮かべて私が会いに来たことを喜んでくれました。 たまばあやんが歌う安来節にあわせて、わたしがどじょうすくいを一生懸命踊りました。 60年のどじょうすくい人生の中でも、一番感動して踊ったどじょうすくいのひとつです。 この旅の様子は当時(昭和52年)、NHKの「新日本紀行」という番組で全国放送され、最近再放送されました。 (27年ぶりの再放送が実現したのは、私の長男の高校時代の同級生でもあった、NHK松江放送局の堀江清市アナウンサーの尽力があったから。感謝しています) あれから30年近く。たまばあやんはもういませんが、わたしが当時のたまばあやんの歳になるまでには、まだまだあります。 96才であんなにいいのどを聞かせてくれたたまばあやん。 私ももっともっと、がんばって安来節どじょうすくいを楽しまなきゃなあと思います。 トップページへ ●松江の殿様になった。 ![]() 松江名物の武者行列。初代松江藩主堀尾吉晴公の入城を再現した総勢156人の武者姿。 私は、選ばれてその堀尾吉晴公を演じることになりました。 殿様だからりりしく馬に乗らなければならない。このため生まれて初めて乗馬のレッスンも受けました。 総合演出は狂言の野村万之丞さん。「行列中は話すな、笑うな」というお達し。 でも観客から声援がくれば、にっこり笑顔を返さないとね。 なかなかサービス精神たっぷりの殿様に仕上がり、これはこれで評判が良かったですぞ。 ちなみにおきさき役はわが妻。 トップページへ ●世界各地でどじうすくい公演。 ![]() 「スモールフィッシュ・キャッチングダンス」 私がこう名付けたどじょうすくい。 言葉がわからなくても誰でも楽しめるので、世界中で大受け。 これまで、ハワイ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、北京、上海、桂林、グアム・サイパン、マレーシア、タイ、トルコ、ドイツ、イタリア、フランスなどで公演。 北京では、日本のお年寄り数十人を引き連れ、万里の長城で健康体操とどじょうすくい、銭太鼓を披露。 中国中央電視台(中央テレビ)の取材も受けました。 トップページへ ●映画「しじみ」に夫婦で出演。 ![]() 長い期間、市内でロケをしましたが、出演者もスタッフも和気藹々。 楽しい時間でした。 若いときからの念願だった映画俳優デビュー??です。 トップページへ ●人生に旅立つ高校生にどじょうすくいを教える。 ![]() トップページへ ●テレビ、雑誌、新聞に、多数登場。 ![]() 私のおもしろパフォーマンスとしてのどじょうすくいが話題になり、たくさんのマスコミから取材を受けたり、テレビ出演をしてきました。 ワイドショーや24時間テレビ、ドキュメンタリーにも取り上げられました。 どじょうすくいだけでなく、火星の話題や、まぼろしの大社宮島鉄道、いまは上海市に編入されている松江(しょうこう)とわが松江(まつえ)との姉妹都市宣言の橋渡し役など、さまざまな話題をマスコミに提供してきています。 トップページへ ●立久恵「火渡り大護摩大祭」 ![]() 私は、幼少の頃からお世話になったふるさとへの恩返しとして、毎年この大祭の神事の司会進行と余興のプロデュースを引き受けています。 年に一度ふるさとの方々から「やっちゃん、ことしも会えたね」と言ってもらえるのが何よりの喜びです。 トップページへ ●世界一仲良しの夫婦です。 ![]() 若い頃からテレビ出演もかあちゃんと一緒 私とかあちゃんは、平成10年に結婚50周年を迎えました。金婚式ですね。 なれそめは、私の交通警察官時代。朝日町十字路に松江初の交通整理ボックスが誕生。私は当時花形職業だった交通警察官第一号として、白いスカーフをなびかせ、さっそうと交通整理をしていたのですが、朝な夕なにそこを通りかかる感じのいいお嬢さんにすっかり惚れ込み、警察官の特技を活かして尾行?? その成果あって、愛妻栄子と結婚することができたのです。 以来、どこにいくのもかあちゃんと一緒です。仕事も母ちゃんの助けなくてはできません。 海外旅行も、テレビ出演も一緒。 世界一仲のいい夫婦、とうぬぼれ、人生の宝としています。 トップページへ < 前のページ次のページ >
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